認知症の親との会話、“どこまで信じていい?”迷った時のヒント
2025/07/18
「さっきご飯食べたよ」と言うけれど、実際には食べていない。
「どこも痛くないよ」と言いながら、顔はしかめている。
認知症の方との会話で、
こうした“言葉と様子のズレ”に戸惑うご家族は決して少なくありません。
今回は、認知症の方との会話で「何を信じればいいの?」と感じたときのヒントや、
訪問看護の現場での対応の工夫についてお伝えします。
訂正する?合わせる?――“正しさ”より“安心感”
「ご飯食べてないでしょ」と訂正しても、
本人は納得できず混乱したり、怒り出してしまうこともあります。
逆に、すべてに同調してしまうと、誤った理解のまま進んでしまう不安もあるでしょう。
訪問看護では、次のような対応を意識しています。
・否定せず、気持ちに寄り添う返答を優先する
例:「ご飯食べたよ」→「そうだったんですね。お腹の具合はどうですか?」
・本人の表情や行動、環境を含めた“全体の情報”から判断する
・「今どんな状態か」ではなく、“本人がどんなふうに感じているか”に注目する
事実確認よりも、不安や混乱を和らげる関わり方が、
長期的には良好な関係と安定につながります。
「ウソをついてるわけじゃない」ことを知る
まず大前提として、認知症の方の言葉に“事実と違うこと”が含まれていても、
それは嘘をつこうとしているわけではないということを理解することが大切です。
記憶の抜け落ち、理解力の低下、時間や場所の認識のズレなどにより、
本人にとっては「本当のことを言っている」つもりでも、
周囲から見ると事実と異なることがあります。
この「事実と異なる発言」をそのまま信じるのか、訂正するのか
そこに悩むご家族は非常に多いのです。
「できている人ばかりじゃない」――苛立ちと葛藤のリアル
頭では分かっていても、感情はついていかない。
「またその話?」
「もういい加減にしてよ」と、ついきつく言ってしまった。
そんな経験をしたご家族も多いのではないでしょうか。
認知症があるから仕方ないと分かっているのに、繰り返し同じことを聞かれたり、
意味の通じない返答をされるうちに、イライラや苛立ちが蓄積してしまうのは、
ごく自然な感情です。
それでも
「怒ってしまった自分を責める」
「もっと優しくできたら…と後悔する」
そんな自責の念を抱えて、孤立していく家族も少なくありません。
さらに今の社会では、介護中の言い合いやぶつかり合いも、
状況によっては“虐待”とみなされてしまうことすらあります。
逃げ場がなく、誰にも本音を話せないまま苦しんでいる家族がいることを、
私たちは知っておくべきだと思います。
本人の言葉より「いつもとの違い」に気づく視点
認知症が進行すると、会話の内容だけでは体調や異変に気づきにくくなります。
そんなとき、支援者が注目しているのは「言葉の中身」ではなく、「いつもとの違い」です。
・声のトーンが弱くなった
・表情がこわばっている
・同じ話を繰り返す頻度が増えた
・動きがぎこちない/身支度に時間がかかるようになった
こうした微細な変化は、本人の言葉では表現されません。
だからこそ、言葉だけに頼らず、全体の様子を観察する視点が欠かせないのです。
ご家族にできる「見守りのヒント」
訪問看護では、ご家族にも次のような“見守りのコツ”をお伝えすることがあります。
・否定よりも受け止める姿勢
「違うでしょ」ではなく「そうなんだね」「それでどうしたの?」
・本人の“困っている気持ち”に目を向ける
「痛い」と言っても痛みの場所が曖昧なとき→不安の表れかも?
・「会話の裏側」にあるサインを見る
いつもより話が長い=寂しさのサインかもしれません
完璧にやろうとしなくていいんです。
時に怒ってしまっても、またやり直せばいい。
支援者が関わることで、「寄り添い続ける」のハードルを少しだけ下げることができたら、
それで十分だと思います。
訪問看護ができること
認知症の方とご家族の間に立ち、
安心できる関係を保つために、訪問看護ができる支援はたくさんあります。
・ご本人の様子を“言葉以外の情報”も含めて観察、共有
・本人の訴えが事実と違っても、行動.環境.背景を含めて総合的に判断
・医師やケアマネとの情報共有、方針確認の橋渡し
・ご家族の「これで合ってるのかな…」という不安の整理とサポート
認知症のケアに“正解”はありませんが、「誰かに相談しながら進められる」ことで、
ご家族の気持ちがふっと軽くなることもあります。
~“全部を信じなくてもいい。でも、全部を否定しない”
認知症の方との会話は、時に「正解のないやりとり」のように感じることがあります。
でも、大切なのは“何を言っているか”ではなく、“何を感じているか”に寄り添う姿勢です。
「全部を信じなくてもいい」
「でも、全部を否定しなくていい」
その中間に立って、一緒に考えてくれる人がいること。
訪問看護は、そんな“あいまいさを支える存在”でもありたいと思っています。


